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March 11, 2012

あれから1年。当日を振り返る。

震災から1年が経ちました。
TVで復興式典を見て当日のことを思い出し……そういえば、とPCの中を漁ったら、
震災3日後に書きかけていた当日のメモが出てきました。

当時は既にblogは更新停止、mixiも細々としかしていなかったのと、この後会社の
復興業務が本格化したのもあり、結局最後まで書けていなかったのですが、今現在
覚えていることも追記して以下に記してみます。

---------当時執筆分-----------
報告送れて申し訳ありません。
なんとか生きております。
言い訳をすれば地震発生から丸一日停電していて、その間は携帯からのtwitter確認に頼りきりとなってしまい、電気&ネット復旧後もこちらの存在を忘れていました。

備忘録も兼ね、これまで起きたことを時系列に沿って羅列します。


3/11
14:46頃 新製法の試作立会い中、館内に地震予知システム(*1)のアナウンスが流れる。

  「あと 52 秒 で 揺れます。予測震度 3」

   →2日前にも同じような予知放送が流れ、試作が全滅していたので嫌な気分に
  なる。

同 予知放送再び流れる。

  「あと 25 秒 で 揺れます。予測震度 3」

  この放送の直後に突然縦揺れが始まる。ちょっと待て、予知システムはまだ25秒後と……
  と思っているうちに今度は横揺れが来る。
  最初の数秒は揺れは大したことがなかったが、揺れがどんどん大きくなってきて
  建屋全体が大きく軋み始めた。

  「これは!?震度3どころじゃない!」

  何をすべきかすぐに判断できなかったが、立っていられずとりあえず中腰に。
  すると5秒もしないうちに上から天井の破片がパラパラと落ちてきたため、
  逃げるように近くのタラップの下に隠れる。
  それからは頭上でドーン、ガシャーンとものすごい轟音が始まり、バチバチバチッ
  という音とともに全停電。火災報知機がけたたましく鳴り始めたが非常灯は
  点かず周囲は真っ暗闇(工場なので窓は無い)。
  それでも一向に揺れが止む気配がなく、床に伏しつつ死の恐怖を感じる。
  本当に、ずっとずっと、揺れ続ける。
  この時間はものすごく長く感じた。そして、実際長かったようだ。

  しばらくすると……ようやく揺れが収まる。

  「全員、避難!」

  どこからか大きな声が聞こえ、出口に向かう。
  真っ暗だが勝手知ったる建物ではあるため、途中何度か物体(恐らく床に転がり
  落ちた製品)にぶつかりつつもなんとか最寄の非常口から外へ脱出。
  外の光がとても眩しかった。
  他の人も続々と正門前の広場に集まってきて、やがて点呼にて安否確認。
  奇跡的に人一人欠けることなく脱出できていた模様。

  生きている実感を噛み締めるとともに、ようやく自分以外のことに気が回るように
  なる。
  地震予知システムで「52秒」という猶予時間があったということは、震源は直下
  ではなく割と遠い場所のはず。
  にも拘らずこの揺れの大きさということは……震源地は壊滅じゃないか。
  そして自宅の妻は大丈夫だろうか。マンションが崩れ落ちていないだろうか。
  早く連絡取りたい&帰りたいところだが、携帯と車の鍵は事務所の中。
  外に出た後も大きな余震に何度も襲われ、中に入ることができない。

  そのまま2時間外で待ち続ける。とてもとても長い時間だった。


16:30頃 露骨に大きな余震が収まってきた傾向になったため、ようやく社長が
  荷物を取りに建屋に入る許可を出す。ただし複数人行動厳守で。
  懐中電灯の明かりを頼りに事務所に戻ってみると、見るも無残な書類の海だった。
  なんとか自席に戻り電話と車の鍵の入った鞄を回収。

(*1)地震予知システム:弊社の製品製法は揺れに対して非常に弱く、また揺れた
  後の迅速な処置を施さないと後始末が大変になるので緊急地震速報とは別の
  地震予知システムを導入している(契約先がどこかは不明)。具体的には
  震度1でも揺れる時間(あと**秒後)  と予測震度が機械音声で流れる。

---------当時執筆分ここまで-----------

---------以下、記憶に残っているその後-----------

17:30頃 退社。電話は一切繋がらない。早く帰りたくてしょうがないが、既に道路は
  大渋滞(もちろん信号は停止)。会社周辺にある民家は軒並み屋根瓦崩落、
  塀崩壊(一部道路を塞いでもいた)で、揺れの大きさをまざまざと見せ付け
  られた。
  そして、車載TVで初めて他地域の震災の映像を見て愕然とする。

  自宅のある市街地が近くなってくると、方々の交差点で警官が手旗信号で交通
  整理していて、その責任感に脱帽。彼らも家族の安否が相当心配なはずなのに……

19:30頃 いつも30分で帰れる道のりを2時間強かけてようやく帰宅。
  幸いマンションはライフラインが全滅している以外、見た目の損傷は無く、妻も
  暗闇の中自宅内で片付け物に追われていた。
  お互いの無事に喜ぶ。
  話を聞いてみるとこの辺りの揺れは私が会社で体験したものより程度が軽かった
  模様。
  確かに車から見る風景も停電している以外は何か崩れたりしているところが
  なかった。
  #後日知った情報によると自宅周辺は震度5強~6弱、会社周辺はピンポイントで
   震度7の揺れだったとか

その後、完全に緊張状態となっているせいで一睡もできず、朝を迎える(余震も多数あった)。

3/12早朝 トイレを使いたいが水が出ず、仕方が無いので近所の川に水を汲みに行く。

3/12昼間 管理職だけ出社し、被害状況の把握のため建屋内に入る。
  完全に崩落した天井、ぐにゃりと曲がった鉄骨や横倒しになった各設備……
  ライトの照明が映し出す惨状はそれは残酷だった。
  死人が出なかった奇跡に改めて驚くとともに、この会社も終わったな、と。
  社長も方々からの問い合わせの電話に相当苛立ちながら対応していた。
  「復帰時期の予定?そんなの答えられる状況ではない!」

3/13昼間 大阪から本社の社長がやってくる。
  「どんなにお金がかかっても良いので最速で復旧しなさい」
  この発言以降諦め主体だった空気が変わり、がむしゃらな復旧活動が始まる

3/14? 復旧作業中に「放射能レベルが上がっているので屋外に出ること禁止」
  というアナウンスが突如流れる。もしかしたらこのまま帰宅できなくなるの
  では?という見えない恐怖に慄く。
  結局政府が避難を指示しない限りそんなの気にしていては前に進めない、という
  怖い(とはいえ当時の状況ではやむをえない)思想の下、仕事と生活を継続する
  ことに。
  同僚の中には家族を遠地に退避させる人が増える。
  また、この日辺りから飲料水とガソリンの不足が深刻化。  

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